バブル崩壊により就職氷河期を経験した世代のことを、ロストジェネレーションと呼ぶという。
私も現在40代前半だが、ギリギリこのロストジェネレーション世代にあたるようだ。
私たちの世代は、「勉強をしていい大学に入れば、いい会社に入社でき、将来は安泰だ」と教えられた最後の世代ではないかと思う。
私は元来真面目な性格なので、それをひたすら信じていたように思う。
勉強して、地元ではそこそこ優秀とされる高校に入り、東京のそこそこ有名な女子大に進学した。
そこそこ有名な大学に入れたのでもう大丈夫と思い、大学ではあまり勉強せず、サークルやアルバイトに励み、地元でそこそこ有名な企業に入社した。
住宅営業の仕事で給料はまずまず高かったが、サービス残業は当たり前、営業の成績が悪ければ長時間叱責を受けるという、今でいえば完全にブラックな会社だった。東北支社ではあるものの、全国規模の会社ですら、それが当たり前の時代。今から約20年ほど前のことだが、企業の在り方は今とは全く違っていたように思う。営業の方法も、電話帳を見ながら突然の電話を掛けたり、1軒ずつチャイムを鳴らして営業をかける「ローラー」、ここで書いてよいのかわからないような方法での営業活動もあった。もう一度書くが、CMも流れているような有名な会社である。
新卒採用で入社した私は、それが当たり前、社会の厳しさなんだ、と思って2年間働いた。そして辞めた。企業選びを間違えたからなのかもしれないが、「いい大学に入ればいい会社に入社でき、将来安泰」の希望は、たった2年で失われた。
私には(営業マンとしての)優れたコミュニケーション能力もなければ、根性もなかった。あるとすれば真面目さだけ。そんな私がそこそこ有名な大学を出たところで、将来安泰とイコールではなかった。子供のころから言い聞かせられてきた「いい大学」⇒「いい会社」⇒「将来安泰」コースの希望が、実際に社会人になった頃には失われていた世代。「ロストジェネレーション」が失ったのは、そんな「希望」だったのではないかと思う。
そして令和の今は、「多様性」の時代となった。様々な価値観を認めよう、という社会だ。時代はものすごい速さで変化している。私が今の会社に入社した10年前、面接では血液型を聞かれたし、会社の飲み会では社長や役員から「(こどもを)二人目は作らないの?」とよく聞かれもした。当時も言われたときはイラっとしたが、今なら常識を疑われてしまう発言だ。たかだか10年前はそんな状況だったにもかかわらず、この10年で世の中は大きく変わった。
「多様性」を認めよう、という時代に私が子どもだったら、どんな自分に成長したのだろう、と考えてみる。こんなにも他人の目や評価を気にするような人間ではなく、もっと面白味のある個性的な人間になっただろうか。それとも、こんな面白みのない自分でも、ちゃんと認めてあげて有りのままの自分でいい、と思えたのだろうか。今の子どもたちがうらやましい反面、「多様性」という、どこにもレールが敷かれていない大地を、自分で進むべき方向を決めていかなければいけないというのも、大変そうだな、とも思う。
時代は変わる。10年後にどんな社会になっているのかはわからない。今よりもさらに変化のスピードは上がるのだろう。
どんな社会になっていたとしても、その時「私らしく」いられたらいいな、と強く思う。
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